最近、日々の暮らしが実に単純化されてきております。
仕事する
ゲーム(DS)する
映画観にいく
本を読む
TV(バスケかダーツかゲームセンターCX)を見る
焼肉食べにいくこの6つの間に「睡眠」と「食事」と「飲酒」と「ボーっとする」と「風呂入る」の5つを均等に挟んでいけば、オイラという人間のフローチャートの95%くらいは完成します。
いやはや、我ながらなんと貧しい人生か。(そう思ったから、久しぶりにBlog書いてみる気になったんだけどね)
ところで、この冬は映画をたくさん見た気がします。(たくさんっていっても週1本か2本ペース程度だけど)
人影まばらな映画館は本当に大好きな空間です。
大画面、大音量の空間に、一人ポツーン。
周囲が気になる事も、周囲を気にすることもなく、両手を大きく広げて座席に沈み込む、至福の時です。
先月、武士の一分をレイトショウで観に行ったときなんか私以外に客は一人。
それはもう贅沢な気分を満喫しました。
逆に人込みの映画館は大嫌いな空間なのですが、最近じゃ平日レイトショウ一筋の小生なのでそんな空間に足を踏み入れる事がありません。
では、この冬に見た映画の一部をちょっと振り返ってみますか。
幸福な食卓今のところ今冬ベストはコレ。
とにかく主演の北乃きい嬢にメロメロ。
いや、よかったよ、ホントに、清清しかった、惚れた。
で、この映画って崩壊している家族が再生していく話のように一見思えるのだけど(よくそういう紹介もされてるし)、最後まで見ていくと結局崩壊しているように見えてどこかで繋がっている絆のようなものを確認させてくれる話なんだよね。
「大丈夫。気づかないうちに守られてるから」という劇中のセリフの通り。
その「どこかで繋がっている」っぷりを中学3年生の中原佐和子を演じる北乃きいを中心に、物語冒頭で「脱・父親宣言」しちゃう父親役の羽場裕一、その父親の自殺未遂をきっかけに家族から離れ一人暮らしをしている母親役の石田ゆり子、秀才として名高かったにも関わらず大学に進学せず農業をしている兄役の平岡祐太が、それぞれ好演。
特に心に歪みを抱えた父親役の羽場裕一が、そのナイーブさを上手に演じていたと思う。
あと登場人物の頓死を話の盛りにするような物語って本来好みじゃないんだけど、「幸福な食卓」の場合はその死があってこそ、ラストシーンの前を向いて歩きながら、でも時折後ろを振り返り、そしてまた前を向いて・・・を繰り返しながら歩き続ける佐和子と、その場面で流れる「くるみ」が胸に迫るんだなぁ。
引き返しちゃいけないよね、進もう、君のいない道の上へ♪いや、あのラストシーンにはやられましたぜ。
北乃きいと「くるみ」に胸キュンw
もう制作サイドの思う壺って感じw
このシーンが何度でも見たいので、これはDVD出たら買います。
リトル・ミス・サンシャイン今のところ今冬の次点はコレ。
こちらは明らかに崩壊している家族の話。
美少女コンテスト「リトル・ミス・サンシャイン」のクィーンを夢見る少女とその家族が、黄色いワゴン車に乗ってコンテスト会場を目指す旅を通して、少しずつ家族としての絆を再生していく姿をコメディタッチに描いたロードムービー。
話の筋自体は振り返ってしまえば割と平凡なのですが、それでもまるで飽きさせないのは6人+黄色いミニバス一台という家族のキャラクターの立ちっぷりが見事だから。
小太り眼鏡っ娘の分際で「リトル・ミス・サンシャイン」のクィーンを夢見る少女オリーブ。
独自のインチキ成功哲学で一儲けを目論む傲慢なその父親。
ヘロイン常習者で誰彼かまわず卑猥な発言を繰り返すその祖父。
家族を忌み嫌っていて無言を貫き通そうとするニーチェオタクで空軍パイロット志望のその兄。
プルースト研究の自称第一人者だったがゲイの恋人に裏切られて自殺を図って没落したその叔父。
そんな家族に辟易しながらもなんとかまとめようとしているその母親。
最後に、押しがけしないとエンジンのかからない黄色いミニバス。
こんな家族、上手くいきっこないっつーの。
そんな家族の再生物語だから面白いんだけどね。
終盤、歪んだ少女ミスコンの現場の描写と、徐々に再生していく家族の絆の描写がクロスしていって、最後には蘇った家族の絆が歪んだミスコンを滅茶苦茶にしちゃうあたりは痛快。
そして実は物語が終わっても家族個人の問題は何も解決していない。
残されたのは皆の笑顔と絆だけ。
人生それさえあれば十分さっていうカッコイイ話なわけです。
イカスな。
暗いところで待ち合わせ原作&田中麗奈が好きなので、珍しく映画見るのにプチ遠出しました。(普段出不精なので・・・)
盲目のヒロイン・ミチル役を演じた田中麗奈、素晴らしかったです。
元々素晴らしい役者さんなのに、最近の「容疑者室井慎次」とか「忍者ハットリくん」ではその魅力が空転してしまうような役柄で何だか痛ましかったので、今回実力と魅力に相応しい役を演じているのが嬉しかったな。
なーんて書きつつ、次は
「ゲゲゲの鬼太郎」で猫娘だそうで、これまた非常に不安なんですが。
一方で、この物語のもう一人の主役格であるアキヒロなんですが・・・、原作のアキヒロは他人とのコミュニケーションを上手に図れないごく普通の日本人の青年だったのでとっても感情移入しやすかったのですが(それが自分がこの原作を好んでいる大きな理由のひとつ)、この映画では中国人とのハーフという事情で周囲から孤立化しているという設定に改変されており、どうもあんまり個人的にシックリこなかったかな・・・。(演じているチェン・ボーリンが悪いわけでなく・・・)
ま、とはいえ、原作云々を抜きにしても良質な映画だと思いましたよ。
鉄コン筋クリート原作は言わずと知れた松本大洋の代表作。
あの松本大洋の絵が、世界が、グルグルとめまぐるしく動く事には心から感心。
また設定もセリフもほとんどイジってないので、原作が好きであればあるほどハマれる映画だと思う。
私も原作は嫌いじゃなく、むしろかなり好きなんですが、でも連載当時からイタチ登場以降の展開にはちょっと腑に落ちないっていうか引っかかるものがあって、それをいまだに引きずっていて、で、映画でもそれは結局その展開は全く同じで、だからなんだか観終わった後に心にモヤモヤが残ったりもしました。(ようするにクロとシロの関係について「もうひとつっこみ」してほしかったんだな・・・)
観る前には懸案事項だった声に関しては超大満足。
特にシロの蒼井優。
冒頭の「おっぱいボイーン」を耳にした時点で、良い意味で目眩がしました。
二宮和也のクロも全然オッケー、蛇の本木雅弘とか沢田のクドカンなんてエンドロールみるまで気付きもしなかったくらいに違和感ナシ。
アニメの声に有名俳優っていうと、もうすっかりミソがつきまくっていてイメージ滅茶苦茶悪いわけですが、結局使う側の演出意図がしっかりしてさえいれば声優使おうが有名俳優使おうが問題ないわけで。
有名俳優達の素のイメージなどまるで這い出る隙間がないくらい映画「鉄コン筋クリート」はカンッペキに「鉄コン筋クリート」だったという意味では、本当にこいつは傑作だと思います。
あとは「鉄コン筋クリート」という作品自体をどう解釈するか、ってことでしょう・・・。
犬神家の一族旧作好きとしては一体どんなもんかと不安を抱いたりもしてたんですが、旧作の「ファンムービー」としては十分許容範囲内。
石坂・金田一が画面に出てくるだけで、あのテーマ曲がかかるだけで、加藤武・橘警部が「ようし、わかったぁ」とやるだけで、やっぱりちょっと心が躍ってしまった。
果たしてリメイクという表現が相応しいのか悩ましいくらいに市川崑監督の演出に変わりがなかったが故に、違和感なくノスタルジーに浸れたんだろうけど。
だから「ファンムービー」という言い方をしたくなるし、石坂版金田一耕助や市川崑に思い入れのない人は観る必然性のない映画だと思うな。
そんな中、新顔で印象的だったのは松子役の富司純子と女中・はる役の深田恭子。
旧作に比べて何か勝っていた部分を挙げろと問われれば、迷うことなく松子!!というくらい富司純子はインパクトありました。
あと深田恭子って大根は大根なんだろうけど、その大根っぷりのベクトルが素敵な方向を向いていて観ていて嫌悪感を抱かせない。
まぁ若さ故に成り立っているというのもあるかもしれないけど、もし10年後も同じようなベクトルを向き続けていたら凄いなと思うし、そんな深田恭子を見てみたい。
007/カジノ・ロワイヤル007の賞味期限がまた延びたなあ・・・って感じ。
旧来のファンとしても楽しめたし、新しい007としても十分魅力的でした。
武士の一分誰もが思ってることなんだろうけど、キムタクはどこまでいっても何を演じてもキムタクなんだよなぁ・・・。
相手役の檀れいに演技力と魅力がなかったら多分見れたもんじゃなかったけど、そういう意味では随分助けられてるなっと。
硫黄島からの手紙やっぱり私は直接的に戦場を描いた戦争映画は苦手・・・。
特にこの映画は「直接的に戦場を描く」以外のことをほとんどしてないし。
視線は思いっきりフラットだからこそ評判は良いんだろうけどね。
・・・と、まあ疲れたのでこんなところで。
さあて、今日は何観にいきましょうかね?
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